とあるケアマネジャーのたわごと🌈

これまでの経験を基にした介護に関する様々な情報、日々の業務を通して感じたことが主な内容です。大変な職業でありますが、長く仕事を続けられる参考に活用して頂ければ幸いです。

小説パート2をせっかくなので紹介させて下さい。

おはようございます。早いもので、もう3月となりましたね。

前回の投稿に書かせて頂いたように、ブックショートアワードでいくつか優秀作品に選んで頂いた小説について、せっかくなのであと少しご紹介させて頂きます。

今回は『じいちゃんの至福の時』という作品で、これもホッピーをテーマにしたものです。

じいちゃんは昔から漁師をしていて、とても逞しく、そして頑固な人。そんなじいちゃんと主人公である孫との関わりです。自分自身の成長、一方で少しずつ年老いてゆくじいちゃんの姿を描いております。

このじいちゃん、昔から私の中にある理想の「じいちゃん像」なのです。決して口数が多い訳ではなく、頑固で人の言うことは聞かない。だけど、小さな子どもに対してはすごく優しい。
孫の目線から見て理想のじいちゃんであり、自分も年老いたらこんなじいちゃんに憧れております。

宜しければ、以下のリンクからご一読頂けると嬉しいです!短いので5分ほどで読めるかと思います。

『じいちゃんの至福の時』ウダ・タマキ | BOOK SHORTS


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趣味について〜たまに小説を書いております〜

皆さま、こんばんは。お仕事の方はお疲れ様でした!やっと一週間も折り返しです。

さて、今回は趣味について。
とは言いながら、趣味らしい趣味というものを持ち合わせておりませんので、正しくは『現実逃避』かも知れませんね。
いずれにせよ、私が気分転換できることは、文章を書くことです。こういったブログに思うことや考えを書くのも一つですが、色々と妄想しながらストーリーを書き進めるのも好きなんです。つまり、小説というやつですね。

出来上がった小説は、コンテストがあれば応募しています。ただ、長編となると原稿用紙数百枚に及ぶので、短編がメインです。

『ブックショートアワード』というサイトがあるのはご存知でしょうか。そちらでは定期的に企業とコラボして、その商品をテーマとした作品を募っているんです。数ヶ月に渡って月々の優秀賞を何作品か選定し、最終的に全優秀作品の中から大賞を決めて映像化や書籍化する仕組み。
今回は『ホッピー』をテーマに作品を募集されていたので、いくつか応募致しました。
なんとありがたいことに、応募作品全てが優秀賞に選ばれたのです!せっかくなので、介護や高齢者に関する小説をいくつか書きました。
今回は、その一つをご紹介させて頂きます。
タイトルは『生きる意欲になり得るもの』
ケアマネジャーと、なかなか心を開いてくれない利用者さんとの関わりについて話が進みます。
宜しければ、以下よりご一読頂けると非常に嬉しいです!

『生きる意欲になり得るもの』ウダ・タマキ | BOOK SHORTS

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特技や強みをホスピタリティに活かす

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こんばんは。
今日は日々の業務において利用者さんとの関わりから感じた『ホスピタリティ』について書かせて頂きますね。

ホスピタリティは、よく『おもてなし』や『思いやり』と説明されます。
サービス業では、接客マナーにプラスαしてお客様に行う行為と考えれば良いでしょうか。よくディズニーランドやリッツカールトンのそれが手本とされ、本も出版されていますね。

医療や介護の業界でもホスピタリティは大切だと思います。私は利用者さん宅を訪問した際には、何か一つでも実践できることがないか、それとなく観察することを心がけています。

決して難しいことや負担の大きなことをする必要はありません。また、過剰にやり過ぎるのは制度から逸脱してしまいますし、他のスタッフに迷惑がかかったり、利用者さんから求められるものが大きくなってしまうことにも繋がります。
少し自分の得意なこと、自分にしかできないようなことをそっと行うのがちょうど良いのだと思います。

とは言いながら、私にはこれが得意だと言えるものがありません。ただ、私は人より背が高い方ではあります。

なので、利用者さん宅に伺った時には上の方をよく観察します。電球が切れかかっていたら「良かったら変えましょか?」と提案し、冷蔵庫の上のホコリが気になればサッと拭き掃除をします。

「高いところはできないから助かるわぁ」

そう言ってもらえると利用者さん以上に私の方が嬉しくなります。
お互いに嬉しい気持ちになれることこそが本当のホスピタリティだと感じています。

例えば、折り紙が得意な方。
ちょっとしたプレゼントにも良いですし、掃除をした後にそっと置いておくのも良いかも知れません。

簡単なことで構いませんので、ホスピタリティを実践することで小さな楽しみや喜びを提供できるのだと思います。

皆さま日々の業務が忙しいのは承知していますが、小さな工夫で喜んで頂けたら私たちも心が豊かになるかもしれませんね!

ゆっくりと進むことの大切さ

この週末は穏やかな良い天気だったので、日頃のストレス発散、気分転換のために二時間ほど散歩をしてみました。
約8キロくらいはあるでしょうか。普段は車で行くような距離を歩いたので、足が痛くなりましたが、家の近所にも関わらず新しい発見が多くありました。

初めて見る景色や知らなかったお店。春になったら桜が綺麗だろうなと思う遊歩道。どれも数十キロの速度で通り過ぎてしまえば出会うことのないものばかり。
歩いてみて感じたこと。それは便利さ故に見失っているものが日々の生活には沢山あるのではないかということ。

これから少しずつ過ごしやすい季節に移り変わります。たくさんの花が彩り鮮やかに咲き始めることでしょう。ゆっくりと歩いて新たな出会いや色々なものに触れたいと感じた一日でした。
明日は月曜日。新たな一週間が始まります。いつもより気持ちを穏やかにして、焦らず一歩ずつゆっくりと進んでいきたいと思います。

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『死』について考える

おはようございます。今日はいつもより早起きして充実した一日を過ごそうと計画しています。さわやかな朝でございますが、タイトルは少し重いですね。

なぜ、こんな記事を書こうと思ったのか。それは以下のニュースから色々と思うことがあったからです。

 

神戸新聞NEXT|総合|余命短い患者の「看取りの家」 計画に住民反対「死を日常的に見たくない」 神戸

 

施設建設と住民との意見の対立。このような状況を『施設コンフリクト』と呼びます。

conflict:衝突、論争、口論 (weblioより)

最近では保育所の建設を巡って「子どもの声がうるさい」などということによる反対や、以前から多くある例としては、葬儀会社の建設などが分かりやすいのではないかと思います。

今回の反対に関しては『死』というものへの抵抗が強いように考えられますね。

記事の解説で関西学院大人間福祉学部、藤井美和教授病院や施設で亡くなる人が増えたことで、死は見えないもの、怖いものに変わった」(一部抜粋)と仰っていますが、まさにその通りだと思います。

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平成26年版厚生労働白書 ~健康・予防元年~より

グラフは少し前のデータですが、「自宅で最期を迎えたい」という本人の希望に反して、病院で最期を迎える割合が圧倒的に高くなっているのが分かるかと思います。今後は施設での最期を迎える数値が上昇することは考えられますが、住み慣れた自宅での最期を迎えるということは、さらに減少していくのではないでしょうか。

私がこの業界で働き始めた15年ほど前と現在の状況と比較しても、最期を迎える場所に関しては大きく変化していると思います。それは多種多様な住居形態が出現したことに起因します。

数年前までは自宅以外の終の棲家は、主に特別養護老人ホームでしたが、現在ではサービス付き高齢者向け住宅や有料老人ホームなど、多くの住居形態が存在し、最期までそこで過ごすことが可能になりました。

以前は退院後の住居が無く、いつまでも病院で過ごさなければならない社会的入院も多かったのですが、ハード面が充足されたことでそれは解消してきていると思います。

しかし、一方では様々な施設(※有料老人ホーム、サ高住なども含めて『施設』と表現ささせて頂きます)ができたことで、本人にとっては望まぬ入所へ繋がりやすくなったように感じています。「認知症が進行してきて心配」、「転倒したら危ないから」などといった理由で、決して本人が望まない転居、入所へと至ってしまうケースに出会うことが多くなりました。

また、状態が悪くなってくると「入院させた方が良いのでは」と、明らかに治療の施しようがないご高齢の方に対しても、そのような発言を耳にすることもあります。ご家族にとっては安心、そして負担の軽減になるのでしょうが、、、

このように『死』は病院や施設という自宅とは別の場所で起きるものであり、日常からかけ離れたものとなってしまったように思います。

そして、このことは家族形態の変化にも関連します。以下のグラフから分かるように、40年ほど前には65歳以上の者がいる世帯の割合では、三世代家族が最も高かったものが、現在では12%ほどの割合まで減少しています。

つまり、自宅において孫や子ども達が『おじいちゃん』や『おばあちゃん』と接することが無い家族が非常に多いのです。このことも『死』に触れる機会を遠ざけている要因の一つだと思われます。

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平成29年版高齢社会白書

現在、国は『住み慣れた地域で最期まで暮らす』ことを目指し、地域包括ケアシステムの構築を進めております。もちろん、ハード面の整備は大切だと思うのですが、一人一人の『死生観』を醸成する為の教育プログラムといったものも必要なのでは?と、感じております。死というものは、人生の一部であり決して特別なものではないという理解が進まなければいけませんね。特に『孤立死』や『孤独死』といった言葉が世間に知れ渡るようになってから、死を遠ざけようとする強い心理が働くようになった気がします。



 

利用者さんと長く関わることの意義

こんばんは!週末なので、夜更かしをしながら日々の思うことをアウトプットしようとパソコンに向かっております。スマホも便利ですが、やっぱり文字を書くのは断然パソコンに限ります。目が疲れにくい!タイプが早い!編集しやすい!

 

ということで、サクサクとタイプをしながら本題に移ります。

どんな仕事をするにせよ、心掛けるべき大切なものは基本的に同じだと思っています。

  • 技術、知識
  • 接遇マナー
  • 体調管理
  • コミュニケーション能力 など

いろいろある中で、私が一番大切だと思うこと。それは「継続」することです。

それも可能ならば同じところで継続できることが望ましいと考えています。(人間関係、待遇など様々なことがあり、退職に至ることが多いのでしょうが、、、)

私はこの業界16年ほどですが、15年間は同法人で働いています。介護職からケアマネジャーへと部署は移りましたが、長い方は入社当初から関りを持たせて頂いております。

 

長く関わることで、、、当然ながら信頼関係が構築されます。今では多少のトラブルも顔を立てて許して頂けるくらいです。

長く関わることで、、、共通の思い出話に花が咲きます。「あなたもあの頃は若かったねぇ」なんて言って頂けることがありますが、その時の表情は二人に共通する懐かしい思い出だからこそ垣間見えるものだと思います。

長く関わることで、、、その人の望む最期が分かります。これまでの会話の中で、どのような最期を望んでいたか十分に理解することができます。アセスメントすれば分かるし、確認するのが当然と指摘されるかも知れませんが、長い関りから得られるものは、より深いものがあります。

長く関わることで、、、認知症の方が安心感を持って接してくれます。恐らく私の名前を憶えていない重度の認知症の方でも、数年間顔を見ていると記憶にしっかりと残っているようで「おお!」と利用者さんから手を挙げて挨拶をして下さいます。

 

数年前、こんなことを言われたことがありました。

「最期まで、よろしくお願いします」

私が担当ケアマネをさせて頂いたAさんは末期がんでした。実はAさん、私がヘルパー時代に関わったことのある方でした。非常に頑固でわがままな方で、私がヘルパー時代には、理不尽な理由で何度も怒鳴られていました。

「もう二度と来るな!」

最終的には、その一言でサービスは終了となったのです。

それから、道端で顔を会わせると私の方へ歩み寄り大声で怒鳴ることが続きました。なので、私は遠くの方からAさんを見つけると、必ず会わないように身を隠したのでした。

そんなことがあったにも関わらず、わがままを繰り返していたAさんは、なぜか他事業所からうちの事業所への変更を申し入れ、私がケアマネジャーをすることとなったのです。

「あの時はすみませんでした」

照れ臭そうに謝罪をしたAさんとの関りが再び始まったのです。

怒鳴られてから数年が経過していたので、それも私たちにとっては良い思い出となっていました。「そんなこともありましたね」などと二人で笑ったりして。穏やかになられていましたが、相変わらずわがままなところは変わらず。しかし、私はとても嬉しかったのです。数年が経過し、私を受け入れてくれたことが。

結果として、Aさんを自宅で看取ることができました。Aさんの言葉を叶えさせて頂くことができたのです。最期までお付き合いできたことは、私にとって大きな達成感でした。

 

この仕事をし始めてから、本当にいろいろなことがありました。挫折もしました。何度心が折れかけたか分かりません。一か所の職場で長年勤め続けるのは大変なことだとは十分に理解しております。しかし、慣れたスタッフが変わることで寂しい思いをするのは利用者さん、入居者さんなんですよね。

その為には、待遇が良くなってスタッフが定着すること。結局、それが重要なんだと思います。

 

 

 

 

 

発想力を身につけるために

夜の寒さも緩まり、いよいよ初春を感じるようになりましたね。しかし、花粉が辛い、、、

さて、先日は観察力と洞察力が大切ということを書きましたが、発想力というのも大切で、自分にはそれが乏しいなと痛感している今日この頃です。

ここ数年、介護保険サービスだけでは運営が厳しく、様々な事業を始める法人が多くなってきました。私も雇われの身ではありますが、何か新たな事業を提案できないものかと、日々頭をフル回転させております。もちろん、ただ利益を産み出すだけではなく、何か社会に役立てるものが無いかと考えているのです。

そんな時に感じるわけなんですよね、発想力の乏しさを、、、

「これなんか良いんじゃないかな」と閃いてインターネットで調べてみると、すでに事業として行われているもので、がっかりした経験は数知れず。何か新しく画期的なものは無いのかと、考えれば考えるほど思考が回らなくなり、、、

結局、自分の視野が狭いんだと思います。視野が狭いので知識が限られていて、だから発想できないのだと。

ということで発想力を養うため、次のことを意識するようにしたのです。

  1. あえて知らないことに触れようとする
  2. 人の話を聞くようにする
  3. 「見る」ことを心がける

 

1に関しては、これまで興味関心の無かったものに目を向けるようにしました。この業界のことだけではなく、幅広く違う業界のことにも。それ以外にもあまり好きじゃない音楽のジャンルやテレビ番組にも関心を向けるようにしております。正直、自分の好むものではないのであまり楽しい作業ではありません。しかし、何かに役立つことを信じて継続しています。

 

2についてですが、これまであまり人の話を聞かなかったんですよね、、、自分の考えが正しいと、お恥ずかしながら根拠のない自信を持っていたのです。まずは、それを崩すことから始めて人の意見や助言に耳を傾け、受け入れてみることにしました。

これまでは「何を言ってるんだ」と思ってしまったことも、「何でそうゆう発想に至ったんだろう」と、考え方に変化をつけるようにしています。

 

最後に3番目。役所などに行ったとき、設置されているチラシや掲示物には必ず目を向けるようにしております。インターネットってあらゆる情報を知ることができて便利ですが、自分自身で情報を選別してしまいますよね。なので、欲しい情報を収集する意識を排除して新たな情報に偶然出会うようにしてみたのです。

 

専門家として深い知識は必要ですが、これからしばらく、浅くてもいいので広い知識を身に付けようと思っております。そして、そこから少しずつ深めていくことができれば、発想力が身に付いてくるのだと思っています。

半年後くらいには、何か効果が見られるかな?